ふーみん アート

「たたかいに たちあがれ」という歌詞について




ふーみんは、今、

コールピースで歌うのをちょっとやめようかな…と思っています。


『フィンランディア』の歌詞のなかに、

「(平和を求めて)たたかいに たちあがれ」という言葉があるのですが、

ふーみんは、どうしてもそう歌う気になれないんです。


なんだか、

「じぶんよりももっと悪い “悪の枢軸” がどこかにいて、

 その “悪の枢軸” とたたかう」

という意味のように思えてしまいます。


他の人の悪を指摘し、非難して、叩いたり怒りをぶつけたりしても、

その他の人は、悪をまた他のだれかのせいにして、

それが堂々巡りになってしまい、

結果、このような世界になっているのではないでしょうか?


それは、怒りや憎しみの連鎖そのものではないか、と思います。


その連鎖を断ち切るためにも、

まず、じぶんの心のなかに悪の元凶があるということを実感して、

反省することが大切だと、ふーみんは思います。


そうして、相手が安倍さんだろうと、蓮舫さんだろうと、トランプさんだろうと、

その相手に「たたかいを挑む」という姿勢ではなく、

「いっしょに平和をつくっていこう」とする姿勢こそが

大切なのではないでしょうか?


ふーみんは現実を見ていない、と思われるかもしれません。

しかし、相手の人間性を信じずに平和をつくることはできないと思います。

ふーみんも、むやみに恐怖心を抱くことはやめようと思っています。


もちろん、

「現政権などに対し、反対してはいけない」と言っているわけではありません。

ただ、反対のしかたに問題があるのではないか、と思っています。


怒りをぶつけたり、たたかいを挑むような態度、

言葉や心による暴力があっては、平和にはならないのではないか、と思うんです。


ふーみん自身、他の人に対して怒ってばかりいましたが、

その結果は惨憺たるものでしかありませんでした。


平和な世界は、平和な態度によってつくれるものなのではないでしょうか?


ガンディーは言いました。 「イギリスとともに祈ろう」


相手が一般の市民だろうと、政治家だろうと、また独裁者であろうとも、

世界中のみんなといっしょに平和を願いたいです。






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『モロコータ』










3月に、ベネズエラ・シモン・ボリバル交響楽団のトランペット奏者、

パーチョ・フローレスのトランペット・リサイタルを聴きに行ったんだ。

そん時に演奏された、

フローレス自身の作曲した曲、『モロコータ』を聴いて、

描きたくなった絵です。



あとで読んだんだけども、プログラムには、

『「モロコータ」とは、歴史的価値のあるベネズエラの古い貨幣。

 その名称をタイトルに用いた本曲では、物質的なものを情愛に満ちたものへと、

 あたかも錬金術師のように変えてみせ、情愛の源泉としての作曲者のルーツ、

 すなわち「母なるもの」へ敬意が捧げられる。』

と、書いてありました。





絵画教室では、まず、

紙を切って描いたこの絵を、油絵の具で描いてみようとしています。

背景をすこしだけ描いているけどもーーー、

う~~ん、むつかしいですぅ~…

でも、とても楽しんで描いていますよ!






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これからのふーみんの絵について・つづき




この前、これからは、

羊毛をじぶんでフェルト化して、それをハサミで切り、

そのうえに、好きな色の絵の具を塗ってから絵を描きたい、

なんて書いたけども、、、


まず、羊毛をフェルト化してみたら、

厚さ2cmくらいもある、ぶあつ~いフェルトができあがっちゃって、

もんのすごく切りづらいし、

それを貼りあわせて絵を描くことなど、とてもできそうになく、

しょうがないんで、そのフェルトをハサミで削ぎ落として、

やっと貼りあわせられるかもしれない、くらいの厚さにしました。


で、それに絵の具を塗ってみたところ、

好きな色にはできたけども、乾いた絵の具が固まってしまい、

羊毛100%のやわらか~いフェルトが、

硬くて硬くて、もう何物なのかわかんないものに変わり果ててしまいました。


なので、ちょっとしばらくは、フェルトを使って絵を描くことはやめたいなぁ…

という気分になってます~。




それからそれから、絵画教室の見学に行ってきましたよ!

先生はいつも笑顔でお話ししてくださる方です。

そして、そのお話がすっごくおもしろい!!!

先生は例え話の名手です。

今まで絵の勉強など、まるでしたことがないふーみんにも、

わかりやすくって、とてもおもしろい例え方で教えてくださるので、

興味の向かないことはまったくできない性質のふーみんも、

楽しみながら、いろいろとできそうな気になってきます。


それに、ちょうど、ピカソの描いた『アルルカン』の絵の絵はがきがあったんで、

「アルルカンって何ですか?」ってきいたら、

ピエロとアルルカンの違いなども、

もともとのコメディー・フランセーズの話までさかのぼって、

詳しくお話してくださいました。

ふーみん、こうゆうお話がだぁいすき!!!

ずいぶん長いこと謎だった、

ヴェルレーヌの詩『パントマイム』に出てくるアルルカンのこともわかり、

ふーみんは少々興奮気味です。




もちろん、この絵画教室に通うことにしましたよ!

これから、油絵の具を使って絵を描きながら、いろいろ教えてもらいます。

ほんとに楽しみです。(#^.^#)






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おだんごぱん のオリジナルカンバッジ




ずいぶん前に、ロシアのむかし話『おだんごぱん』を読んで、

かみしばい『おだんごぱん』をつくったんだ。







その『おだんごぱん』の絵をもとにしたオリジナルカンバッジを、

南相馬ファクトリー さんに頼んでつくってもらったよ!

サイズは、44mmです。
























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いのちは愛




去年、ふーみんの絵の展示会『おひさまとあそぼう!』展をひらいたときに、

相沢 恭行(YATCH)さんがいらしてくださり、

ふーみんの絵の前で歌とトークのライヴをしてくださいました。

そんときに、はじまりのあいさつをしたのですが、

そのあいさつ文を少しなおしたものです。




相沢さんは、イラクの方たちのアート作品を紹介なさっている方です。


わたしは、相沢さんの紹介されていた、

イラクのアーティスト、ハーニー・ダッラ・アリさんの絵が大好きになり、

そうして、とても気に入ったそのすばらしい絵をいつも観ていたいな…

と思いましたので、思いきって買いました。


わたしはハーニーさんの絵を観ながら、ピアノを弾くことがとても好きなんです。

そうすると、いつも深い深い感動を得られます。

特に好きなのは、バッハの曲を弾くことです。

宗教の違いを超えて、魂の奥底からいのちを感じ、そして大きな愛を感じます。

いのちは愛そのものだと、胸の奥の深いところでずしんと感じるんです。


相沢さんはもともとミュージシャンで、

そのイラクの絵画展をしていたギャラリーで、翌々日にライブをなさる、

ということでしたので、また聴きに来ることにしました。

でも、なんだか翌々日まで待ち切れず、

わたし、相沢さんに質問をしてみたくなったんです。


「歌っているときには、なにを感じてらっしゃいますか?」


そのお答えを聞いて、「やった!」と思いました。

わたしが絵を描くときに大切にしたいと思っていることとおんなしだったんです。


いのち、そして愛を感じている、

いのちを感じながら歌うと、いのちを愛する気持ちになる、

ということをおっしゃいました。



いのちがある、存在している、と感じることは、

すなわち愛を感じることだと思います。


「生きることは食べること」という考え方もあるでしょう。

たしかに食べ物を食べていれば、いのちをつなぐことは可能です。


しかし、愛を感じずに、まったく愛を感じられずにいのちをつないでいても、

それは地獄で生きることに他なりません。

わたしは20年ほど、その苦しみのなかにいました。

ひとは、パンだけではけっしてしあわせには生きていけないものだと思います。


いのちがあることは愛そのもの、という感覚は、

歌や音楽、絵や詩など、芸術を味わっているときにとても感じやすくなります。

芸術によって、愛のいのちを感じ、表現することができるのではないかな…

と思います。


じぶんが生きていることを感じるとき、わたしは愛を感じます。

他のひとも、他のいのちも生きていると感じるとき、わたしは愛を感じます。

空があると感じるとき、愛を感じます。

大地を感じるとき、風や空気を感じるとき、愛を感じます。

この世界がある、と感じるとき、わたしはとても大きな愛に包まれています。

このうえなくしあわせです。


いのちは愛であり、この世界も愛そのものです。


インドの詩人、ラビンドラナート・タゴールは、

「愛とは、ゆたかにみちた生命である、杯に葡萄酒がみちるように。」

と言っています。


ちょっと前のインドでも、現在のイラクでも、2000年前のイスラエルでも、

ヨーロッパ、アメリカ、南米、アフリカ、オーストラリア…

そしてここ日本でも、世界のどんなところでも、

いのちを感じることは愛を感じることであることに、変わりはないでしょう。


そうして、その愛のいのちは、

ひとりで感じるよりも、他のひとと、みんなといっしょに感じようとすると、

さらに、さらに、深く感じられると思います。

そのためにも芸術はあるのかな…と思います。



東日本大震災、そして原発事故が起こったとき、わたしは思いました。

「これは、わたしたちの生き方を変えなくてはならない。

新しい生き方を、みんなで模索していかなくては…」


単に生活の仕方を変えるという問題ではなく、何を大切にして生きるか?

という問題だと思います。


今までの、お金や生活、パンを第一に考える生き方では、

わたしたちみんなが、しあわせに生きていくことはできないのではないか、

と思います。



数年前、新聞で読んだのですが、ヨーロッパで経済破綻が起きたときに、

イタリアの哲学者が言っていた言葉です。


「お金によって成り立つ社会から、愛によって成り立つ社会に、

変えることはできないものだろうか?」


ひとりひとりが、愛によっていのちがあることを感じ、

そう深く意識することから、

わたしたちの新しい生き方、さらには新しい社会のあり方が、

見えてくるのではないかと思います。


まず、みんなといっしょに、愛にあふれたこの世界を感じることから、

みんなといっしょに、人々の愛にもあふれる世界にしていきたい…

というのが、わたしの大きな希望です。






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